映画・テレビ

2013年1月 4日 (金)

ムダな繰り返しが長かった、テレ東の「白虎隊」

正月の恒例番組になっている、テレビ東京の新春ワイド時代劇の第35作目、「白虎隊」は、場面の繰り返しが多い、安易な作りになっていたのが残念だった。

夕方5時から、夜の11時48分までの約7時間ドラマなのだが、冒頭で白虎隊が編成され、若者たちの出陣、戦闘、そして飯盛山で自刃をはかろうとするところまで、いわばプロローグのシーンが30分も続いた。

白虎隊がタイトルになっているドラマなのに、冒頭でこれだけの展開を見せてしまっては、このあとどのように描くのだろうと思っていたら、なんと本編でも冒頭の30分の場面を繰り返し見せられる作りだった。夕方に見たばかりの場面が、深夜になってもリピートされるのだから、まったく時間のムダであり、時間稼ぎとしか思えないつなぎ方だった。

白虎隊をテーマに描くには、明治維新と会津のつながりから始めざるを得ないが、そうすると尊王攘夷や薩長同盟など、目まぐるしく分かりにくい、幕末の歴史が登場してくることになる。そのため、「白虎隊の悲劇」というタイトルに期待して見始めた人でも、ストーリーがむずかしいので、飽きてチャンネルを替えてしまう可能性がある。時代劇で「幕末モノは当たらない」と言われるゆえんである。

おそらくはそれを回避するために、できるだけ冒頭で主役の白虎隊を見せて、一般視聴者を引きつけておこうという手法をとったのではないか。

とはいえ、冒頭で30分見た場面が、ほとんどそのまま後半にリピートするのでは、見る側の気持ちはとてもダレる。ドラマの作り方として、プロローグに白虎隊をまず登場させるのはいいが、それなら飯盛山で自決しようとする、少年たちのシーンを3分ほど出せば充分だ。

まさかプロデューサーか演出者が、「どうせ7時間フルに見てくれる人は少ない。だから冒頭の30分が後半にもう一度出てきても、おおかたの視聴者にとっては、繰り返しとは思わないだろう。また、白虎隊の重要シーンだから、2回見てもらってもいいはず」などと考えたのだろうか。

テレビドラマの白虎隊としては、86年に日本テレビが同じく正月に放送したものと、比較される。日テレの「白虎隊」は、森繁久彌、佐藤慶、丹波哲郎、竹脇無我など、今は亡き大物俳優をふんだんに使っており、厚みの差ではいかんともしがたい。また、薩長同盟や新選組、坂本竜馬など、明治維新の歴史に沿った場面が、的確に組み立てられていた。

これに対してテレ東の「白虎隊」は、北大路欣也が演じる会津藩家老、西郷頼母(たのも)の考え方や生き様に、スポットを当てた描き方をしたかったのだろう。そのため、幕末の重要人物である坂本竜馬はあえて登場させず、暗殺された竜馬の遺体が、むしろをかけられて運び出されるシーンを出しただけにしている。

それはそれで、原作や演出の特色であるから、どちらが良いかという評価は控える。しかし、冒頭の30分を本編でリピートするなどは、やめてもらいたい。テレビ東京の正月長編ドラマは、それからの武蔵(81年・96年)、大忠臣蔵(89年)など、せっかく評価の高いシリーズになっているのだから、今回のような安易な作りは、残念だった。

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2011年8月21日 (日)

24時間テレビは、ヒマな人しか見ない番組だ

日本テレビに限らず、この種の長時間番組は他の民放でもよくある。

番組内容を見ると、中には興味あるものもある。しかしその内容が何時何分から放送されるのかが明確でないから、結局見ることはない。

お笑いタレントたちの、内容の浅い会話の時間がほとんどだ。視聴者が見たいのは、興味ある内容の番組であり、24時間の放送すべてに関心があるわけではないのだ。

そして、徹夜で出演し続けたタレントたちが、がんばれなどと励まし合っている。この番組制作関係者や出演者たちの、お祭り気分で作っているだけなのだろう。

「愛は地球を救う」といった、ひとつのテーマを掲げて、24時間特定の出演者グループが登場することは、あってもよいかも知れない。だがその場合でも、それぞれのコンテンツごとの開始時刻をあらかじめ決めて、テレビ欄に明示することはできるはずだ。

その作業を怠って、ただ成り行きで24時間放送しているのでは、ヒマな人しか見ない番組でしかない。

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2011年2月28日 (月)

良質なテレ朝ドラマ「遺恨あり」に、評価と注文あり

久々に良質のテレビ時代劇を見た。テレビ朝日で2/26夜に放送された「遺恨あり」だ。武士の美徳とされた仇討(あだうち)は、明治新政府によって禁止されたが、仇討禁止令が発布されて7年後の明治13年、歴史に残る「最後の仇討」の史実に基づいて描いたドラマだ。

明治維新末期の慶応4年(1868)、九州の小藩・秋月藩で、開国を推進する執政担当の上士(藩の幹部)が、攘夷派の集団によって自宅を襲われ、妻とともに殺害された。その息子・臼井六郎が仇討を決意し、多くの苦労を越えて、実行犯の一瀬直久を12年後に討ちとるという物語。

※番組のサイトは、http://www.tv-asahi.co.jp/ikonari/

主人公役の藤原竜也、山岡鉄舟役の北大路欣也ほか、しっかりした演技陣と演出・原作の良さが光った。ドラマは、単に赤穂浪士のような苦労の末の仇討成就、といった美談でなく、近代国家として遺恨による殺人を禁止する流れの中で、われわれ日本人が失っているものがあるのではないか、しかし当然あるべき法治国家に対して、どこでバランスをとるべきなのかという、深い問題を投げかけている。

この観点では、演出上やや惜しかった点があった。ドラマの冒頭で、暗殺される父親の藩内における立場、考え方を描いている場面、いわばプロローグなのだが、この部分がBGMとともに、出演者名のクレジットを挿入しながらの構成にしたため、視聴者への意識づけが弱くなってしまった。

また、暗殺の実行犯であり、仇討の対象となる一瀬直久について、本人自身がどれほどこの上士を殺害したいと考えて行動に及んだのか、またはこの上士を暗殺せよと、斬奸状を発した家老の指示によって襲撃したのかが、あいまいになってしまっていた。

そのため、仇討をめざす臼井六郎に対して、山岡鉄舟はじめ何人かの関係者が、どうしても仇討をしなければいけないのか、一瀬直久を許してやることはできないのか、と問いかける場面があるのだが、その意味がやや薄くなった。

一瀬直久が、個人として開国派の上士を殺害したのであれば、確かにその息子から、遺恨を一身に受けることはある。だが暗殺を指示したのが黒幕の家老であれば、一瀬直久はたまたま実行グループのリーダーとして先頭に立ったのであって、この暗殺チームは組織としての行動だから、個人として仇討の遺恨を受けるには、やや価値が低くなる。

たとえば池田屋事件で、新選組によって命を落とした勤王の志士たちは何人もいる。だがその息子たちが、それぞれ父親を殺した個人に対して仇討をしても、赤穂浪士や曽我兄弟のようには、すっきりしない。それは、新選組は組織として隊長の指示にしたがった行動の結果であり、殺害した実行者にしても、個人的な感情のみで勤王の志士たちを斬ったわけではないからだ。

臼井六郎にしても、遺恨を向けるべきは、ある程度は実行犯の一瀬直久ではあろうが、それですべてが片づくわけではない。父親の暗殺を指示した家老も共同正犯であるし、開国すべき日本に対して、攘夷論にこだわる反維新派との政治的な対立こそ、父親の死を引き起こした根本的な原因だ。そこに目を向けずに、実行犯に恨みを向けるだけでは、問題の解決にはならない。

とはいえ、ドラマとしてはなかなか質の高い番組だった。暗殺を指示した秋月藩の家老が、落ちぶれて長屋暮らしとなっていたところへ、仇討を成就して自首した臼井六郎の罪状を判断するため、判事が聴取に訪れるシーンがある。

元家老は判事に、「開国だ、近代化だと言いながら、お前たちは日本人の誇りまでドブへ捨てようとしている」と言い放った。興味深い場面だ。

いま平成の開国が必要と議論されている、TPP問題。グローバリゼーションの旗のもとに、社内会話にも英語をスタンダードにする企業。国際化が必要なものは確かに多くあるが、われわれ日本として守るべき伝統や文化は何なのか、そうした根本的なポリシーを持たないまま、国際化に流されていくことには、問題があるのではないか。そうした疑問まで、投げかけているドラマだった。

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